今回のピアノ協奏曲委嘱のお話は、故・岩城宏之さんからいただいたものでした。
そのとき私がまず考えたのは、「従来のピアノ協奏曲にない要素を取り入れた、挑戦的なものにしたい」ということでした。従来にない要素とは、何だろうか? 考えた末、曲の中に「シュプレヒトメント(語り)」を入れたらいいのではないかと思い至りました。
中沢新一さんとは以前から、「機会があれば一緒に仕事をしたいですね」という話をしていました。そしてこの新作を託する相手として、まず思い浮かんだのは中沢さんでした。中沢さんならではのシュプレヒトメントを書いていただき、そのイメージを曲にしてみたい、と。
しばらくして中沢さんから資料が送られてきました。そこには、故・波多野一郎さん(哲学者)が書かれた『烏賊の哲学』という小冊子のコピーが入っており、この論文をもとにした作品にしたいとのことでした。“イカ”? “哲学”? 最初は面食らい、戸惑いました。しかし、『烏賊の哲学』を拝読し、中沢さんのお話を聞くうち、これはとても興味深い作品になると思うようになったのです。
ここには、仏教思想にも通じる、生きとしいけるものすべてへの愛を注ぐことの必要性が語られています。それは、神の姿に近い人間がこの世の中心であり、地上の生命における最上の存在であるというキリスト教思想とは対極にあるものです。波多野さんはイカの加工工場のアルバイトで出会った無数のイカへのシンパシーから、『烏賊の哲学』を発想されました。人間の手で簡単に命を左右されるイカはすなわち私たち一人ひとりの鏡であり、この世にある生命すべての比喩だったのです。
名もない動植物にも命があり、言葉も見た目も違う他国の人にも同じ重さの命がある。それを想像することこそが、お互いを傷つけず、戦争を生まない世界を作るのだという大きく重いメッセージが、この作品には込められているのです。今回の初演で、そのメッセージを受け取っていただけたら幸いです。
なお、中沢さんは、学生時代に出会った波多野さんの哲学をもとにして年来のお考えをまとめたご著書『イカの哲学』(集英社新書)を、今年2月に出版されています。私も作曲中、つねに身近に置いて参照していましたが、こちらも合わせてお読みになると、ピアノ協奏曲『イカの哲学』のメッセージをより深くご理解いただけるものと思います。
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